THE ROOTS

INTERVIEW

生涯夢求

菊井 一夫

株式会社フィール菊井 一夫

略歴

高校通学時に交通事故に遭い、20回程の手術と2年弱の入院生活を送るも、現在も脚に重度の障害が残る。退院後、貴金属加工の職人見習いとして神戸の宝飾工房に入社。1991年独立。2005年NYにてオリジナルブランド「KIKUI
KAZUO」発表。デザイナー兼職人としての立場から、本当に良いジュエリーを世に広めるべく、現在も活躍中。

現在の仕事についた経緯は?

高校1年の6月、入学後間もないころの通学時、交差点内で11トン車の左折に乗っていた自転車ごと巻き込まれ、生死を彷徨うほどの大事故に遭うも2年弱の入院を経て奇跡的に生還出来た。しかし、高校は中退、もともと運動が得意だったのに脚に障害が残り歩行困難となってしまったことで絶望していた中、偶然ショーケースに飾られていた宝飾品を見て、その美しさに心動かされた。どうすればこの仕事に就けるのかわからないまま、手元にあった電話帳を見て宝飾工房を探して電話し、翌日、そこの社長と話す機会が与えられた。社長は「脚が悪くても手が動けば問題ない」と言ってくれ、そのままそこで職人見習いとして就職することになった。

仕事へのこだわり

自分のような人間を受け入れてくれた社長に感謝し、修業時代はとにかく早く技術を身に着けようとした。もともと負けず嫌いな上、大事故で一度は死んだわが身だと思っていたので、本当に命がけで技術を磨いた。毎日指輪のサイズ直しを50本近くこなし、今の職人だと30分から40分かかる仕事を、10分程度で仕上げる程の正確さとスピードが自然と身についていった。勤務中はあてがわれた仕事を精一杯こなし、仕事が終わってからは自分の技術を磨くための反復練習も怠らなかった。おかげで、そこの工房でも随一の技術を身に着けることができたが、ある日、ジュエリー史上でも最高峰といわれている、ヨーロッパ王侯貴族の時代のアンティークジュエリーの逸品を見る機会に恵まれ、そこで多大なショックを受けた。王侯貴族がお金と時間を惜しみなく注ぎ、当時の職人が命がけで作った宝飾芸術品。今の資本主義の世の中では絶対に生まれないような至高の逸品。私はそれを見て、自分も職人として一流を目指すならここまでやりたいと思い、今まで以上に仕事に打ち込んだ。その後、現状の下請けの仕事だけでは私の目指すような作品を生み出すことは難しいと思い、独立し、自分でお金を貯めて高価な材料を用意し、自分でデザインも考えた、自分だけのこだわりのブランドを作った。さらには、自分の作品を置くにふさわしい工房併設のサロンも自分でデザインして作った。そして今度は、展示会への出品や講演活動などによって、自分が思う本当に良いジュエリーとはこうだ、ということを世に広めるために活動している。今振り返ってみると、とにかく良いものを作りたい、そしてそれを世に広めたい、という一貫したぶれない思い、これが私のこだわりだと思う。

若者へのメッセージ

若い間は、とにかくぶれずに一つのことに命がけで打ち込むことが大事だと思う。今の時代は良い意味では選択肢が多いが、誘惑も多くぶれやすいと思う。でも、ことわざで「石の上にも3年」といわれるように、なんでもやり続けているうちに成長していくもので、どうしようか、と悩んでふらふらしている時間こそが惜しいと思う。私の上の世代の職人は中卒でその道に入って修業し、10年経つと一流の職人として認められていた。海外でも、とにかく技術を磨くのは早いに越したことがない、と言われているし、スポーツ選手などでも、幼少期からそのスポーツに打ち込んだことで、今の技能が身についているのだと思う。とにかく一つ決めたらとにかくやりぬく。そしてそのとりかかりは早い方が断然いい。それから、精神的なことでいうと、まず感謝の心が大事だと思う。謙虚に感謝する気持ち。それがあれば素直に人の言うことも聞けるし、それによって成長も早まると思う。

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