THE ROOTS

INTERVIEW

これでいいのだ・馬鹿になれ

西村司

株式会社流機エンジニアリング西村司

略歴

1992年川崎南高校卒業、運送業(夜はDJ等)、1997年株式会社流機エンジニアリング入社※、2014年代表取締役社長

現在の仕事についた経緯は?

起業メンバーの1人だった父が創業15年目に社長となった時から、会社に対して意識くらいはしていたと思う。しかし家族とはウマも合わず、会社や仕事には興味も感じず、違う人生を選択して、4年間を悠々自適に暮らしていた。そんな渦中に会社分裂が生じたことを母から耳にし、幼少時から顔馴染みだった社員が辞めることがあるのだというカルチャーショックを感じ、また強気で勝気だった父に対する心配をしていた矢先に父と再会することと相成り、実際に当時の仕事内容を聞く限りみるみる興味も沸き、スピード入社に至った。しかしガテンやアートな業界からの転籍では、活かせるスキルも皆無であり、入社して鼻をへし折られてから1年強は、葛藤するのみだった。

仕事へのこだわり

私自身ゼロというよりマイナスからのスタートであり、先輩の言うことは何でも受け入れようと心掛けていた。社員数が30人強で売上が10億円だった入社当時は、ほとんど売上貢献も出来ず、せめて自分の給料分くらいは稼がないと存在意味自体が無いと先輩から発破をかけられて意気消沈していたくらいだった。しかし先輩方の苦手なことや未開の領域・地域だった分野の開拓、また世の中の環境に対する時流と当社の技術力向上の重なりから忙しく展開していく環境下では、やればやっただけ成果ややりがいが得られるもので、病気でも怪我でも寝る間を惜しんで走り回った。その結果、全社売上12億円の当時に、一人で4億を上げるまでになった。そんな業績に対する秘訣を先輩方から尋ねられたのを機に、自己分析や組織分析を学び、のちの部署統括や社内マネジメントの足掛かりとなった。なお入社当時の初心は容易ではなく、実際には入社前までに人を巻き込んで企画や運営を多く回してきた一定の自信から、不条理なことや身勝手なことから放たれる言葉にはついつい噛み付いてしまうことも多く、当然のように社内で孤立していった。だが会社から管理はされたくないし、自由にやらせてもらいたいが、失敗をしたり損を起こしたりしたら自分は悪くない、全部社長のせいだ、といったような考え方の社員も多くおり、さらには決して本人に届かない陰口がどこでも横行しているような社風に違和感を感じて、若輩ながらも何か変えられないものかと模索していた。じきに、世間で高く評価されているいわゆる良い会社に対する研究心が芽生え、学習や他社視察を重ねているうちに、理念経営という本質的な哲学に出会った。しかし理念だけでは飾りであり、また各人の価値観とは異なる。その解決に、具体的な落とし込みや運用を成功させる最も有効な方法論として、時間・数値・振り返り・革新を大事とする経営品質に出会うことが出来、ずっと邁進してきた。

若者へのメッセージ

ひとは結局、「自分で決めたこと以外はやりたがらない」という性質を持つ動物だと思っている。だから、趣味やライフワークは辛くても長続きする。しかし仕事となると、自分の人生とは別物で、お金を得る目的だけの割り切りと考える人もいるようである。それも、もっと働きたい人をブレーキさせるような「改革」だとか、ワークとライフが別の物の「バランス」であるかのような紛らわしい造語の横行も理由だろう。よって私は、各組織や各人が、できるだけ自分たちで未来やキャリアを決めやすいような社内マネジメントを追求してきた。言い換えると、上長はビジョン管理いわゆる「ありかた」に注力して、各人の「やりかた」には極力くちを出すことを抑える文化を醸造してきた。それでも如何なる仕事中の時間は自分のものではないと考える人たちは、会社や顧客や社会から嫌なことを無理に強制されている不幸な時間と捉えているかもしれないが、強い人間でもそう長続きできるものではない。本来、会社や仕事は、自分自身という最も大事な存在や人生の中の、手段にしか過ぎない。自分の生きる目的や目標の手段として納得がいく会社や仕事と出会い、大いに活用して欲しい。その達成や成果こそが、社会にとって価値となっているはずである。

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