THE ROOTS

INTERVIEW

「たゆまざる 歩みおそろし 蝸牛」(北村西望)

横山 久吉郎

株式会社 久月横山 久吉郎

略歴

1948年生まれ、東京都出身。71年立教大学経済学部卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行。都内の支店業務を経て、74年、家業である久月に入社。95年より現職。1835年より続く人形問屋の第7代当主として時代の先を行く経営を展開。伝統を守りつつ革新的な挑戦を続けている。

現在の仕事についた経緯は?

小学校の担任の先生からは「おっちょこちょいの勉強家」と呼ばれており、おとなしいけれどユニークで、すぐに人を笑わせるような子どもでした。小学校を卒業する時は身長147cmと、特別大きいわけではありませんでしたが、高校卒業時には185cmまで成長しました。勉強の方は特別に出来が良かったわけではありませんでしたが、中学、高校ではいつも上位には位置していましたね。大学では「企画研究会」に所属し、ホテルを借り切ってダンスパーティを開いたり、バス旅行に行ったりしました。さらに3年の時には飛行機を一機チャーターして36日間の欧州旅行を企画し、120名を集めたこともありました。今から思えば無茶なことをしていた学生時代でしたね。

卒業後は富士銀行に入行し、丸の内支店の資金部門に勤務した後、父親の「そろそろ帰ってこい」という一声で退職を決意、家業の「久月」に入社しました。仕入部に配属されたのですが、何しろやることがなく時間だけがあったので、仕入先を洗い出したところ、それが予算制度導入に繋がりました。1年後に総務部に行きたいと願い出て、賃金システム、マネキン導入等、経営の近代化を図りました。時流に流されずに本業を守る「貫く経営」、「蟹は甲羅に合わせて穴を掘り」、この2つの考えが経営哲学として私の中で息づいています。

仕事へのこだわり

95年に代表取締役に就任し、「心の和の創造」をモットーとして経営にあたった6代目の意志を継いで、次代を担う若手人材の育成、きめ細かな営業ネットワークの構築、久月ブランドの全国への浸透を課題としてスタートを切りました。同年、阪神淡路大震災が起こったのですが、自衛隊と協力してヘリコプターで3つの学校に行き、ひな人形を飾りつけ、被災地に笑顔と元気を届けるなどの支援に務めました。この行動力こそ、今の久月が業界の地位を不動のものにしている原動力だと考えています。



企業が生き残るため、また時代に合わせた商売をするためには、新しいことにチャレンジしなくてはいけません。しかし、人形本来が持っている良さを変えないことが大切です。その狭間、ギリギリのところで勝負するおもしろさと魅力があります。卸業ではトップ。しかし、文化を伝える伝道師、人形が好きな社員がどれだけいるか、この点では、トップと言い難いのが実情です。この二面でトップになるための教育の難しさ、苦労を感じています。



久月が200年、300年と続くかどうかはお客様が決めることですので、お客様が納得するものを作り続けたいと思っています。そのためにも、人形製作に対してうるさく物申していきたい。そしてその風土を次世代にバトンタッチすることが私の役割です。人形は一つひとつ手作りのため、多品種で小ロットです。必要な商品を、必要な時に、必要なだけ用意する。これは、久月にとって永遠のテーマであり、目標でもあります。

若者へのメッセージ

昨今は大企業への就職を希望する人が多いかと思いますが、中小企業にも光った会社はあります。そこで自分を賭けてみるのもひとつの方法です。若い時にしかできないことがある。今を大切にしてください。その時にしか得られない感動があるのです。また、久月は常にチャレンジし続けています。皆さんもどんどん新しいことにチャレンジしてください。

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