THE ROOTS

INTERVIEW

人間万事塞翁が馬

宇野 康秀

株式会社U-NEXT宇野 康秀

略歴

1963年生まれ、大阪府出身。88年明治学院大学卒業後、 リクルートコスモス(現 コスモスイニシア)に入社。89年人材サービス会社のインテリジェンスを創設。大阪有線放送社の創業社長だった父の急逝に伴い、98年同社を継承する。社名を有線ブロードネットワークスに改めブロードバンド事業へ進出。2005年に社名をUSENに変更。10年USEN代表取締役を辞任し、株式会社U-NEXTを立ち上げて社長となる。USENから譲渡された動画配信サービス「U-NEXT」ほかBtoC事業を手がけ、14年12月には東証マザーズ、15年12月には東証一部へ上場を果たす。

※17年12月、USENとU-NEXTの経営を再び統合し、USEN-NEXT HOLDINGS 代表取締役社長CEOとなる。

現在の仕事についた経緯は?

父は大阪有線放送社という現在のUSEN有線ブロードネットワークの母体となる会社を創業していました。
実際に自分で商売をしようと思ったのは、小学校3年生か4年生ぐらいのことだったと思います。学校で将来何がやりたいかといった作文を書いたのですが、私は「鉄道会社の社長になりたい」と書きました。このように、小学生のころから事業をやりたいと思っていたのですが、中学生・高校生の思春期には、事業家になるのか、映画監督になるのか、それとも生物学者になるのか、この3つの方向性でずいぶんと悩んだ時期もありましたね。

経営者としての父に憧れがあったわけではありませんが、自然と経営に興味を持つようになり、本田総一郎さんや松下幸之助などすばらしい経営者の本を読み漁っていました。そのうちに、事業というのは生活に直結しており、自分がなにか事業をやることで人々の生活を豊かにしていくんだ、という使命感のようなものが生まれてきました。

学生時代も自分でさまざまな事業を立ち上げていたのですが、卒業後はリクルートコスモスに入社しました。「何かやろう」とずっと思っていたので、1年が経った頃には、自然な流れで、仲間4人とともに『インテリジェンス』を創業しました。なぜ人材コンサルティングから始めたかというと、この事業は装備投資が不要で、コストのかからないビジネスだからです。

起業してから何年間かは深夜まで、場合によっては会社に泊まって仕事をすることが当たり前のように続きました。勝たなければいけませんので、必死でした。 いま振り返ってみると、「時代の流れをしっかり読んでいくこと」が成功の要因だと思います。

時代の流れの中で社会に役立つことをやっていけば、おのずと商売は大きくなっていくのではないでしょうか。それからもうひとつは、やはり人一倍努力をしてきたということが挙げられます。「時代の流れを読む」というのが大前提ですが、時代の流れに合わせて競争が始まりますから、この競争に勝つには、他の人たちよりも努力する、ほかの人たちより寝ずに働く。それしかないと思っていました。
当時の景気もあって会社は順調に成長していたのですが、そんな折、病床の父親から連絡があり「会社を継いでくれ」といわれました。

仕事へのこだわり

当時の大阪有線放送(現USEN)は、多くの借金とコンプライアンス上の問題を抱えており、1万人近い社員の方々もいらっしゃいました。

まずはきちんと資金調達をして経営を立て直すことに注力しました。光ファイバー事業をはじめとした通信分野で成長を続け、2005年にオンライン動画配信事業に参入。その一端である定額制動画サービスを独立
させた『U-NEXT』が誕生しました。

分離スタートしたときはまだ立ち上げの段階で、赤字事業でしたが、「自分たちがやるしかないんだ」という切迫感を持ったスタートでした。そこから毎年少しずつ成長し、15年には東証一部に上場することができました。

若者へのメッセージ

私はこの事業をやると決めた際、「絶対にもう迷わない」と心に誓いました。良いことも悪いことも、すべて受け入れて前に進もうと思っています。

U-NEXTを独立させた際も「迷わず信じてやりきろう」という強い意思がありました。事業をしている以上、フォローの時もあれば、アゲインストの時もあります。とにかく何があっても自分で選んだこの事業を信じて、迷いなくやりきろうと心に決めております。

私も数々の失敗をしてきました。若い世代の皆さんも、失敗したことで自信をなくしてしまったり、失敗を恐れて新しいことにチャレンジできなかったりする人が多いと思います。しかし、失敗は必ず次の成功の糧になりますので、失敗を恐れてほしくないと思っています。

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