THE ROOTS

INTERVIEW

自分が変わらなければ、相手は変わらない

武田 美保

武田 美保

略歴

1976年生まれ、京都府出身。元女子シンクロナイズドスイミング日本代表選手。2001年世界水泳福岡大会でデュエット金メダル。アトランタ、シドニー、アテネの3つのオリンピックで、銀・銅・合わせて5つのメダルを獲得。現在は教育、美容、健康管理をテーマにした講演や執筆などの活動を精力的に展開している。

現在の仕事についた経緯は?

両親には朝から晩まで「早くしなさい」としか言われないぐらい、おっとりとした子どもでした。3人兄弟の末っ子で一人だけ女の子だったので、おおらかに育っても良いかなと両親とも思っていたみたいです。

決して自分に自信があったわけではなく、少しぼーっとしている分、何をしてもどんくさかったのだと思います。5歳の時、近所の子どもが皆、家から歩いて1分のところにあるスイミングスクールに通い始めました。私もその波に乗り遅れてはいけないと思い、水泳を始めました。当初は選手になるためではなく、普通に2年近くクロールや平泳ぎを泳ぐ練習のために通っていたのですが、黙々と淡々と通い続けているうち、どんどん進級テストに合格していきました。

力だめしのために競泳大会に出場した時、シンクロのコーチをしているという方から、当時のコーチ経由で、「シンクロやってみないか?」と声をかけていただきました。それがシンクロを始めたきっかけなのですが、誘ってくれた方がいったい誰だったのか、いまだに分かりません(笑)。また、通っていたスイミングスクールに、全国的にも珍しいシンクロコースが組み入れられていたということも大きかったです。

ある時、担当のコーチに、「美保ちゃんをシンクロに誘ってくれているお姉さんがいるんだけど、シンクロって知ってる?」と聞かれました。そもそもシンクロコースがあるのを知らなかったので、とりあえず見学に行ってみたところ、まるで人魚姫の世界のようだと思いました。手の動きや笑顔、人間離れした世界観を不思議に思うと同時に、憧れを抱きました。

実は当時、クラッシックバレエにすごく憧れており、芸術を鑑賞するのが好きだった私は、その美しい芸術の世界観と唯一の習い事だった水泳との融合がシンクロスイミングだと思い、直感的に「やるべきだ」という判断にいたりました。

仕事へのこだわり

初めて出場したアトランタオリンピックでは、終わった後、シンクロをやりきったという達成感がありませんでした。このままネガティブな感情でシンクロを辞めて、第二の人生をどんな風に歩むかということが全く想像ができなかった。そこで私は「どうせ辞めるならシンクロをやりきって辞めよう」と思い、もう一度オリンピックに挑むことを決意しました。

競技人生の最後の1年は特に「『あれをやっておけばよかった』を全部なくそう。今までは言えなかったことでも全部言うようにして、勝てる要素があるならやってみよう」と覚悟を決めて臨んだところ、その1年が一番、良い演技ができたと思います。

今はシンクロの人生ではない人生を歩きはじめていますが、オリンピックに出場するという経験ができたことに対しては、「勝ったな」と思えます。今もさまざまなチャレンジをさせてもらっているのですが、そのチャレンジが、シンクロの時に体験したような「感情のふり幅」が持てるかどうかは分かりません。ですが、もしチャンスにめぐり合ったら、とことん挑戦しようと思っています。なかなか言葉にはしづらいのですが、シンクロで得た経験の可能性を信じて、これからも貪欲にトライしていこうと思います。

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